何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

小説の構造

小説は、『説明』『描写』『会話』の主に三要素から構成される、と言われているらしい。(出処不明、作家でごほんより。プロット、文体、会話からなるとする視点もあると思う)

このうち、会話が何たるかはいいとして、説明と描写の違いは何か。まず辞書を引いてみると、

事象を説明するとは、それの理由や根拠、内容を客観的に述べること。

一方、事象を描写するとは、それを浮かび上がらせること。

ご飯での例を見てみる。

『彼は交差点でとまった。赤信号だったから。イライラしながら信号が変わるのを待った。やっとのことで青になったので、また歩き出した』

『彼は交差点で足を止めると、信号を睨みつけた。流れる車をせわしなく目で追った。青になり、「やっとかよ」と言いすて、走り出した』

前者の説明ではベタ塗りというか、直接理由や感情を述べている。後者の描写では、なるべく人や物の動きと台詞で場面を浮かび上がらせるようにしている。

ここで描写を成立させる要素として、

風景描写(風景の記述)

生理描写(人の動き生理現象の記述)

台詞描写

心象描写(心に浮かぶ事象=表象の記述)

感情描写

があるが、最後の感情描写は特別な動機なしに使ってはならない。もちろん説明も避けるべきだ。

このような説明と感情描写を排して、意識的に神の視点を避けて登場人物の視点から語らしめる写実主義の文体は、フローベールボヴァリー夫人に始まると言われる。