何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

反抗は反抗らしくあれ

ずっと僕が創作をする意義について悩んでた。それになんの価値があるのかと。

そもそも価値などない。なぜなら僕の創作物はなんら意義のある主張も含んでいなければ、かと言って既存の理論の明快な解説も出来ておらず、内容浅薄にしてむしろ数学の進歩にとって害悪とさえ言っていい代物だから。

それに今は共著で難解な長い論文を書くことが良しとされる時代で、十ページ前後の単著論文では全く話にならないだろう。

僕の卑しい心は10ページに満たない些細な論文を見つけるのが嬉しく, 20ページまで行くともう苦しくてそれを超えると無力感で絶望してしまう。

さらにやっと6ページ書きすすめたところが定理だと思った部分も実は自明じゃないかと気づいてしまった。ほんとうにこれはくだらない代物だ。

しかしそれでも僕は書かないでいることが苦しい。自分自身と格闘しないでいることに耐えられない。

そうだ、今日話してわかった。書く理由は人さまざまだが僕は僕のために書いている。それは僕の自己実現とか向上や利益のためではなくて、まさに僕の戦いのためにだ。

完全にナンセンスな戯言に時間を費やすことがゴールなら、それが戦いの結果ならそれでいいんだ。

僕は戦いを辞めたくない。内側からの戦いをやめたくない。