何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

平野啓一郎の読書ノート

小説を主語述語修飾語独立語接続語といった基礎的な文法レベルまで解体して分析する読み方が面白い。基本的に作品は主語と述語の連続であり、その述語が状態の説明か動作の描写であるかで、主語と述語の間の方向性が反対になる。例えば、ハツは、、、、とく…

平野啓一郎の小説の読み方

序章の解説が非常に興味深い。ちょうど偏執的に国文法の復習をしていたので、小説のプロット自体を文法に立ち返って分析していくアプローチに惹かれた。主語と述語の連続が物語を紡いでいくのであり、その流れは文章という制約上一本でしかないということに…

フィクションの類型についての仮説

純文学でもラノベでもその物語の類型をたどっていけば、大元は同じであると思う。その作品の中で主人公はある物語の続きを生き始めるが、その続きが彼の精神の変化あるいは変調によるのなら純文学であり、世界の方が入れ替わったことによる場合にはラノベに…

21世紀の文学とそのための学び方

これからの文学に求められるのは、こだまの沈黙というアイロニーである。こだまというのは意識に響き渡る自分の心の声だ。ヴァレリーはある詩の中で、彼方へみみをすませば、彼方もこちらへみみをすますのだ、と歌った。 作品とは、性能の悪い一個の受信器で…

課すこと

フランス文学、タブーの勉強、言語哲学、古文漢文、詩

杳子という抽象小説(抽象の逆説的なリアル)

この小説の力に昨日は気づけなかったが、今日も読み進めるうちに、これが官能小説よりもより根源的に官能を描写している小説であると感じてきた。 やはり、男と女や内面と外面といった抽象的な形のままでここまでリアルにそれ自体を描写できるというのは凄い…

ポルノ依存の老人たち

ヘイトとヘイトポルノ。 昔は感動ポルノのケータイ小説が流行ったが、今は憎しみによる快感を煽るこっちの方がブームになっている。

TikTokにあげられていたおじさん

日雇いや倉庫でのピッキングをしている あらゆる勉強を続けている、言葉の勉強、英語、俳優の勉強、合気道、ただ青春小説のようにこれが身を結ぶという希望はない だんだん狂い出す、オナニーをさまざまにする どこにも居場所がなく、変質者となる。その意識…

古井由吉(ふるいよしきち)さんの対談

youtubeにあったやつ。 小説とはnobelと書き、その字義からも作者の独創性による新しい説でなければならない、と考えそうになる。しかし、それは実のところまったくもって逆なのだ。 そもそも独創性 originality という言葉自体の中に origin という起源を表…

フローベールとロランバルト

フローベールの残したテクストの内にあった哲学的な側面が、ロランバルトの記号論に発展していったのではないか。 とくに紋切り型辞典はバルトの神話作用に影響を与えたのではないか。 ロランバルトによれば、故事成語や小説中の風景描写といったものも、単…

自分にとってのフローベール

これ以降、彼ならどう描いたか、を考えることが自分に取っての一つの基準になる。

数学教育とは

大学院に入るとまず、学ぶべき言語を選択してその文法を学ぶ。 これは日本語の国文法を学ぶことと同じだ。ただし、数学を記述する言語は形式言語なので、日常で使う自然言語と違い、その文法を自覚的に学ぶことで始めて自分でも書けるようになる。小説でも日…

風景描写が要

小説は風景描写が要。ボヴァリー夫人でもそうだが、心理描写とは風景描写と等価である。現実の風景を描くのではない。そのときどきの心象に沿った特別な情景を描くのだ。

物語ることの反省

登場人物に自分を反映させるのではなく、登場人物に入り込んで、その人を描き出すこと。そのことの愛情。

論文を書くように

フローベールは論文を書くように小説を書いた。 資料を集めながら章立てを考えて、その章の中をパラグラフライティングで埋めて、推敲を重ねていった。

フロベールの文体について

フロベール(1821--1880)のボヴァリー夫人(1857)を、同時期に書かれた書簡集も読みながら、彼の言う文体とは何なのかを意識しつつ再読している。 この作品の動機は、紋切り型の描写とリアルで皮肉な描写によって、彼がそれこそが描くべきものだと信じた、『も…

中学国文法1

20までやった。

出来事の文学と表象の文学

前者はアメリカ文学に多い。例、オースター、ヴォネガット、ブコウスキー、チャンドラー。 後者はフランス文学に多い?例、フローベール。 この世界で人間が体験するものは、出来事と表象でどちらも対等だと思う。しかし自分が好きなのは表象かな。表象を描…

ボヴァリー夫人と現象学

ボヴァリー夫人がどんどん面白くなってきた。 この作品中の表象の記述とフッサールの現象学を比較するエッセイを描きたいな。 フッサールの現象学の理念も良くまとまっていて面白そうだ。 小倉先生の文学と認識論、フローベールと歴史のエクリチュールも面白…

現象学

ボヴァリー夫人を読んでいて、その中の心象描写、現象を描写する力に感嘆した。 いまはなんだかんだ言っても金が全てで、金がないものは何の発言権もないってくらい1つの価値観が支配している客観主義の時代なのだけど、やはり主観主義には強い力がある。

小説の構造

小説は、『説明』『描写』『会話』の主に三要素から構成される、と言われているらしい。(出処不明、作家でごほんより。プロット、文体、会話からなるとする視点もあると思う) このうち、会話が何たるかはいいとして、説明と描写の違いは何か。まず辞書を引い…