何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

欲求のさまざま

ある飲み会の席で会社の上司と「残業は悪か善か」という話になった。残業を肯定したい上司に対して周囲はいやいやながらも同調しなければならない雰囲気だったが、僕は断じて嫌だったので気配を消して話を振られないようにしていた。

残業は人から貴重な時間を奪うものであり、非効率の象徴であり、ない方がいいという思いは今も変わらないし、僕は仕事が終わらなくても定時で切り上げて帰ってきてしまうだろう。その結果評価が落ちても首になっても構わない心づもりだ。

しかし、残業を肯定したい上司にしてもそういう時間の大切さや非効率の問題は理解できていたはずだ。それがなぜ肯定派に回るのか。

「ここからここまで、と区切るようなやり方が嫌なんだよね。責任がないというか、本気じゃないというか。それって言われたことやってるだけじゃん」

こんなことを彼は言っていたと思う。これは僕もわかる。というか僕にとっても、この感覚は大問題だ。自分の実存に直結するといってもいい。

僕の中にも何かに本気になって生命を燃焼させたい欲求があって、これは僕だけでなくてこの世のあらゆる生命が抱いている根源的な欲求なのだと思う。それをどこに向けるのかが違うのだ。

上司の場合は非常に、天才的といえるくらい利他的な人だからその欲求が組織への貢献へと向かう。僕の場合それは理解すること手触りがわかるまで概念を見つめ続けたいという意志へと向かう。理解すべき対象と向き合っている瞬間、それが一番楽しいのだ。