何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

記憶力の文学に挑むものたち

脱構築とは、これすなわち記憶力の暴力である。

構築を否定し、なんでもかんでもandandandと際限なく繋げて並べていくのだから、そこには軽薄な差異と想起のダンスしかなくて、ただ単に記憶力がものをいう。

現代流行のこのポストモダン文学とは、記憶力の文学なのである。

一方で、人間の中でも飛び抜けて愚かなものたちは常に絶対的な何かを探求してきた。

自分が道化であることを半ば認めながらも、彼らの情熱は抑えがたく、やはりそこには人の心を動かすものがあった。

ドンキホーテ、絶対の探求、ボヴァリー夫人ドストエフスキーの作品群、ヘルマンヘッセの作品はみなそのような探求の精神が感じられる。

もともとアカデミックというのはダサくて滑稽なのかもしれない。

しかしださくて滑稽な探求精神溢れる私小説もいいと思う。