何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

辻原登 Yの木
(はじめ)
独り身で団地に住む男がペットの犬を散歩に連れ出すシーン。その途中にYの形の木がある。今までは気にもとめていなかったが、妻がなくなってから気になっている。その犬との出会いが回想される。
(おわり)
59歳で自決したある男を回想しながら、69歳の自分も結局は同じことをしようというのだと思う。そして未完の原稿が気にかかり、過去の偉大な作家はどうだったかと思い出す。ついにロープを紙袋に入れて、早朝家を出る。Yの木で決行しようとするが、ウーの声が聞こえた気がして我に返り、家に戻る。ベッドで自分の原稿を読み始め、面白い、と思って終わる。

作家のスランプの物語だったのだろう。

青木淳悟 四十日と四十夜のメルヘン
(はじめ)
アパートに帰宅する主人公。各階の様子を気まぐれに語りながら、帰り際に隣室の郵便受けから新聞を盗む。彼女には広告を収集するという奇癖がある。盗んだ新聞さえ持ち歩いている。空想的誇大妄想的大仰な語りが面白い。
(おわり)
上井草なる男が去る。主人公はプロットが破綻した童話の原稿『チラシ』の続きに日記をものす。今読んでるのがそれらしい。そして唐突に日記なのか未完の童話のプロットなのか判然としない流れになり、未完で終わる。

住んでるアパートが取り壊されるまでの日常のメルヘンチックな異化。アパート取り壊しという、ちょっとした非日常を発展させた展開。

松浦理英子 奇貨
(はじめ)
齢45の男性私小説家の独白から。気にいらない人間の愚痴について。そこから七島という友人とのやり取りの回想。
(おわり)
(何が面白いんだ、この話。最後はほらね、って感じで題名回収)おばさん二人と男一人で最後の飲み食い。もう彼らは会わないらしい。小説家の男が気取ったことを言うのを、女があわれそうに見て、許す。女達の交わりを方肘ついてみる男が欲情する。

山下澄人 砂漠ダンス
(はじめ)
主人公の内面をよく表すひらがな調の文体で、たどたどしくも、彼の住む街が、飛行機で砂漠のある街に行くことになった経緯が語られる。そして唐突に機内。到着。カジノがある描写があり、外でタバコをふかしていると外国人にタバコをくれとせがまれる。銃で打たれる空想がゆっくりとありありとしていてうまい。そして男はライターを持って去る。
(おわり)
わたしの目の前で男と子供を連れた女がいて、男には管が繋げられていて、危篤。男が食べ物をもらって食事するのを見ながら、わたしはわたしの手のひらにもおとこと同じほくろがあることを思い出し、さらにライターをとっていった男を思い出す。男は死ぬが、女との関係が続く。意識はコヨーテのものに切り替わる。コヨーテが見ていたのはわたしで、私は砂漠に飲まれた車の中にずっといる。今度はこんなことにはならないようにしようと思うけれど、もうここに来ることはないだろうとも感じる。

ひらがな調の文体をいかした意識の混濁と流れの物語。

中山智幸 空で歌う
(はじめ)
子供時代の兄と高いネットまで走って月をみた逸話から。兄は一人で突っ走ってネットに登り、月に触れようとする。兄が落ちたときははっとしたが、無事だった。最初に空をみたライト兄弟のことを想う。そして場面は高速道路を走る車内。兄の彼女を助手席にのせて、掴みどころのない会話をする。
(おわり)
主人公と兄の元彼女の会話。最初と同じように兄をめぐる会話をする。兄は誰かのバースデーカードを宇宙に打ち上げる予定だ。音が出るカードだという。ほんとうに面白いね、という調子で話してはいるが、水野さんはどこか真剣な様子で、違うんだ、ほんきなんだ、という。場面が転換し、ベッドに寝転ぶ僕。さらに転換し、雨はやみ、星も月もない空。潰れた箱から取り出してタバコを吸おうとするがやめる。新しい箱のを吸うか決めかねて終わる。