何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

いつもの踏切

 僕の人生の中で大切なものなどそう多くはない。この前から実家にいるのだが、その時にローラーバッグとリュックに入れて持ってきたわずかな本や日用品、それくらいで十分だと断言できる。いや、学問に対する向上心をほとんど失ってしまった今ではその本すら必要ではない。それらは僕が欲しいと思うものとは違うからだ。僕が本当に欲しいものはもっと別にあったはずで、今ではそれが何なのかをぼんやりとすら思い出せないのだ。年々自分が消えて行って抜け殻になっていく。欲望と体だけは意地汚く残るけれども本当の自分の精神は日を追うごとに跡形もなくなっている。もう僕は欲しいものも声に出せないのだ。 

 そんな僕が僕として生きる必要性がそれでもあるのでしょうか。外に出る。アパートから出て、歩道で人とすれ違う。このときのすれ違う僕が僕である必要はないと思うんだ。歩く時の足の間隔、生まれつきおぼつかない膝の具合や、体のバランスは何ともぎこちなくて、恰好が悪いので、むしろこういう一個一個の醜さというかみじめさだけが僕を僕たらしめているようだ。皮肉なことに僕はこの世に求められて生きているのではない。祝福ではなく、こういう地べたの生生しい醜い嫌な感覚だけが、僕を今ここにつなぎとめている。生きることの希望ではなく、生くさい不潔さだけが生きる理由になっていると感じる。

 だって日々の目標なんて嘘じゃんか。自分に似合わないブランドの服みたいなもんじゃんか。そんなのを着たって決してしっくりくるはずがない。僕はせいぜい裸の臭みを隠すためだけに下着を着て、なるたけ周囲に同化できるような無地の服を身に着けている。