何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

ふりをして生きていく

生きることは誰がなんと言おうとこの現実を強制されることだ。この生きることの強制に従えない存在に居場所は与えられない。故に我々はどうしても従えないと感じているとしても、最低でも従っているふりだけはして生きていくことになる。

そもそも自分は論理的な存在ではない。一方で金、女、支配、快楽を単純に追い求めるほど欲望に忠実な存在でもない。しかし今のこの現実社会でひとりの人間として規定されて生きる限り、できる限り論理的でわかりやすい欲望を持った人間であるほうが社会にとって都合が良いのだろう。

だからふりをして生きなければならない。もちろん時々寂しいと感じる。居場所なんてそもそも存在せず、あるがままの自分という存在がこの生の現実に認められることなんてないからだ。道徳は正直であれと言うけれど、まともな人間のふりをして毎日をやり過ごしている我々は、日々のどの瞬間でも嘘をついているようなものだ。