何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

砂虫

黒い土が盛り上がったところに、不思議な日陰ができていた。私はその日陰の形があまりに気がかりだったので、誰かにどうしても見せなければと思い、人をよびに飛び出た。

午後の往来の日差しはまだ強くて、立ち上がり木陰から出た途端に急な吐き気が催した。

柵の向こうは直線のとおりに面した歩道になっている。歩く人影はほとんどなかった。そこに一人恰幅の良い中学にならないくらいの男のがとおりががったので、「ごめん」と言って手を掴んだ。不意打ちに怯えた目で見上げたが、強引に先ほどの場所に引き連れてきた。「どうおもう?」と僕が問いかけるが、キョトンとしている。たしかにあまりに説明がないということを理解して、僕はその日陰のもつニュアンスをなんとか説明しようとした。しかし彼はただ怯えていた。諦めて「ジュースでも飲む?」と聞くと、彼は首を横に振った。日焼けした肉付くのいい首筋には掻きむしった跡があり、汗が滲んでいる。「じゃあどうあいよう...。なに持ってるの?」そう聞くと小さなポーチから何小物を取り出して見せてくれた。それは木製の箱の形をしたキーホルダーで、開けると中の虫の足がゆらゆらと揺れる仕掛けだった。「おじさんもこれ持ってた。青いてんとう虫の」「本当に?」「たぶん」「僕これ違う色がよかった」「黄色が一番だ」

そう言ってから再びしゃがみこんで土を見つめた。彼にも見るように促した。

「じっと見てみて」そうすると盛り上がりが少し振動した。「幼虫?」少年が聞いた。「いや違うと思う。幼虫だったらこんなに土を盛り上げないし、小刻みな振動もないと思うんだ。これは生き物じゃないと思うよ。あぶない!」抑えられずに少年の手が伸びたところを、すんでのところで弾いた。「もっと慎重に考えよう」

その場を一旦彼に任せて、ジュースを買って戻るともう彼の姿はなかった。土から何かを掘り起こしたようにくぼみが出来ている。「そこにいるの?」恐る恐る声かけたが返事はない。せっかくジュースを買ってきたのに。せめて穴に彼のジュースを注いであげようと缶の蓋を開けた時、中身の異様さに気づいた。左右に降るとしゃりしゃりと音がして、どうやらこの中身は砂なのだ。あっけにとられていると、背中を小突かれ電流が走った。彼だった。「どこに言ってた?」「自転車持ってきた」単にそれだけのことだった。「驚いたよ」彼は笑って自転車のベルを人なでしてから、「バイバイ」と行ってしまった。後に残された僕は、この現実を受け入れ、小さな虫の死骸を再びあの場所に埋めた。