何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

杳子という抽象小説(抽象の逆説的なリアル)

この小説の力に昨日は気づけなかったが、今日も読み進めるうちに、これが官能小説よりもより根源的に官能を描写している小説であると感じてきた。

やはり、男と女や内面と外面といった抽象的な形のままでここまでリアルにそれ自体を描写できるというのは凄いことだ。推敲し抜いた文体の力と言ってよく、フローベールも読んだら褒めたと思われる。

一方でプロットは単純なのだ。

谷底で主人公の男が女に出会う。女は離人症様の性格である。それからまた偶然女と出会し、喫茶店でデートをするようになる。すこし女を調教するような異様な挿話もあったが、その流れで身体を重ねるようになる。それでもどこか距離があるようで、変化していても変化しないものがあり、二人の成長の速度が食い違い、別れそうになる。一貫して、二人の意識以外は後景に退いている。アダムとイブのような根源的な抽象的な感じがする。

これが陳腐にならない粒度の描写が出来るかは作者の言語能力にかかっている。