何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

フレーズとしての世界、あるいは論理

最近、論理ってどうしたら学べるのだろと思って何か良い記号論理の本はないかと探していた。それで図書館でちょっとした記号論理の本や論理パズルの本を借りてきた。

しかしそういう本の中の形式やパズルゲームを論理と呼ぶのだろうか。

たしかに論理をごく小さく砕いて行ったら、それは言葉の単語と同じように単一の記号たちに還元されるのだけど、『真に何かを生成する力を残した論理の単位』というのはもうちょっと粒の大きいものだ。それはフレーズと考えるとわかりやすい。

文学の分野でも最近は過去の文学作品を大量に読み込んで、その無数のフレーズから文学世界を生成していくタイプの若い作家が出てきている。

つまり何かを学ぶときには、その対象をどれくらいの粒度で学ぶかを意識したほうがいい。