何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

反省が足りない

感情論は無意味である。

個人的な目先の幸福は感情が支配していても、世界と関わる上では感情論は無意味であり、それどころかずっとずっと有害である。

なぜ俺は、数学の道で失敗したのか?

あるいは、失敗してはいなかったのか?

それ以前にもっとわかりやすく、なぜ俺は大学を卒業できず中退してしまったのか?

そして大学院はなぜ卒業できたのか?違いは何か?

(大学を中退した理由)

・単純に朝起きて、外に出て、学校に夕方までいて、家に帰る。というルーチンがこなせなかった。

朝起きて: ほっとくと夜型になり、強烈な睡魔で起きられなかった。時間の感覚が曖昧だった。→どこでも自分の意思で起きるようにする。

外に出て: 醜形恐怖や対人恐怖、自臭病、統合失調症の気質があり、人がいる場所に行くことに勇気が必要だった。非常に疲れた。→これらは今も友達。あやふやにせず医者に行く。しかし今はテレワークなどの可能性がある。

学校に夕方までいて: 周りと同じことしていては勝てないと焦っていた。そして、短絡的なものにばかり飛びついたり、正当なもの、成長できそうなものから自分から引け目を感じて離れてしまっていた。→多分、自分の考えとは違って、自分はいじめられることが怖くて、成長できる環境を避けるけど、本当は逆なんだ。自分からいじめられに行っている。10%の自分でダメやなあって思われるの覚悟で行くしかない。

ルーチンがこなせない: 虚無感に襲われた。続くことが怖かった。感情論。→今は、終わりが見えている。これは、昔と今で大きく違う財産だ。何が?どうせしぬってことの現実味が増しているから、選択に関して冷静になれる。

チャット依存: いいことを伝えたい。面白いことを伝えたい。頑張っていることを伝えたいって気持ちで行くのに、いつも悪口で台無しにされた。デジタルタトゥーまで入れられた。精神的ダメージ。さらに病気までうつされるし、人生の90%破壊されたのでは。しかしそういうことってよくあるんだ。大学進学率も未だに60パーセントを超えない。外的状況で、可能性を、時間を、お金を、健康を失う。→未来とは失ったものの墓の番人になることだろうか?未来はもっと馬鹿なことができる。正しいと思ってる人と喧嘩してもいい。