何も誇れぬ人生の記録

『ぼくは何も誇れないのが誇りだな』沼田真佑、影裏より

島口大樹 鳥がぼくらは祈り、
(はじめ)
あえて後から壊したような文体。ぼく、高島、あと二人の四人の物語。家族で僕の2歳の映像を観る場面から始まる。ビデオの中の今と語られているシーンの今とかたっている今のあえての混濁がある。この混濁は時間や文体だけでなくて4人の意識にもある。それから4人が隠れ家としてる部屋で集っている場面。二人は漫才をやろうとしていて、もうひとりは映画を撮ろうとしている。青年らしい夢が一人ひとりの人物として独立してはいるが混濁している。
(おわり)
前衛。ルールを、意識を、いかに無視できるか。それを無視したままで物語を記録し語ることができるのか。そのことで、紋切り型でない感傷が生まれている。彼らは狭いベランダで並んでタバコをふかす。即興で目を閉じたり流れ星を見ようとしたりする。そして僕は高島がビデオを止めていないので、さっきまでの時間を抱えていることを意識しながら、家に戻り、またビデオをつける。2歳の自分と対面し、時間の隔たりを意識したところで母が来る。母と2歳の自分が対面し、そこにいまの僕がいない瞬間がある。今の僕って、未来の僕って、そこで未完で終わる。
墨谷渉 パワー系181
(はじめ)
2階と5階の行き来を繰り返す女主人。その普通の賃貸の5階が彼女の自室で2階に新たに何かを設営している。HPも解説し、準備万端のところでジムへ。主人公は180を超える女性で何やらプロレスチックなイメクラを始めることが明かされる。
(おわり)
主人公が客の男にプロレスわざを決め、うつ伏せに寝転がり動かない男を撮影して、友人の葉子に添付メールを送る。ねえ、そういう怖い事件たしかにあったよ、私も危なかった、というメール本文でおわる。客観的事実がわからないことの怖さを残す。